２０１６年オリンピック
2016年のオリンピック開催地として東京が名乗りをあげていることは諸君も知っている
でしょう。これまでのオリンピックは、その開催によって競技施設や観光施設、ガス・水
道・電気・交通網や通信網など都市のインフラ（infrastructure＝基盤、基幹部門）を整
備しようということでしたが、今度の東京は、すでに成熟した都市でできる限り既存の施
設を活用し、半径10ｋｍ以内で行う "コンパクトなオリンピック" という新しい方向を示
すのだと、石原都知事はオリンピック立候補当初に言っていました。
福岡も立候補していますが、東京でなら半径10ｋｍ圏内ですべてできるということで、
九州全域で行って九州の開発を進めようとする従前と同じ発想の福岡案との明確な違いを
東京はアピールしています。
治安の面でも、都市の方が危険だ、いや、広い地域の治安維持はもっと大変だと、両者
は激論を交わしています。
東京都の広報６月号に、東京オリンピックの主要施設の計画が載りました。選手村はゆ
りかもめの有明テニスの森駅の周辺、メイン・スタジアムは晴海埠頭と東京国際貿易セン
ターの間、メディアセンターは築地市場の跡地（築地市場は2012年以降を目安に江東区豊
洲に移転予定）に決定し、今月下旬にＪＯＣ（日本オリンピック委員会）に計画書を提出
するそうです。
ところが、この計画に対して多摩地区から不満の声が上がっています。全部都心で行う
のになぜ多摩地区が誘致に協力しなければならないのかということです。瑞穂町議会が、
五輪招致決議案は議会に提出しないと決めたのに対して、石原都知事は「頭を冷やした方
がいい」と言ったとかで、カチンときている市長や町長もいるようです。
福岡や他の国のライバルより、東京内部の不協和音の方が、誘致の成否への影響は大き
いかも知れません。
５月14日（日）のフジテレビ「報道2001」で石原都知事は、なぜ今東京オリンピックな
のかという質問に対して、「端的に言うと国威発揚だ。日本人には閉塞感や不安があるが、
日本の持っている技術など実力を認識したほうがいい。極めて21世紀的な日本の先端技術
をフルに使ったオリンピックにしたい。」と答えました。
また、西沢首都大学東京学長は、東京は何を変えていけばよいかという質問に「いま日
本人の良さが見失われている。人のことを察するという長所が影を潜めている。自分たち
のすばらしさを正当に認識する、そこから出発しなければ世界に大きな顔ができない。そ
ういう立場を主張しなければいけない」と述べました。
私も、日本人の閉塞感は経済ばかりが原因ではないと、特にこの10年ほど感じています。
ヒトラーのアイデア
ところで、オリンピックを国威発揚に利用するというアイデアがヒトラーの発案だとい
うことは、諸君の多くも知っているでしょう。
ベルリン・オリンピックは1936（昭和11）年です。ヒトラーが政権を取った３年後です。
このころがどのような時代であったか、日本史、世界史の知識を思い出してください。本
紙前号の最後の方の話とも重なりますが、ここで見ておきます。
ドイツは、第１次世界大戦の敗戦（1918年）で、連合国との間で結んだ（1919年６月）
ベルサイユ条約により、▼植民地や海外での権益をすべて放棄▼領土のうち、面積にして
13％、人口の10％を隣接諸国に割譲▼ライン川左岸の非武装▼オーストリアの独立保障▼
陸軍・海軍の制限と空軍の保有禁止▼賠償金の支払い、などが義務付けられました。
1921年に1320億
値に合せたドイツ通貨の単位で、現在の日本円に換算すると、米ドルとの関係もあってい
ろいろな計算があるようですが、だいたい40～80兆円くらいのようです。今の日本の国家
予算は80兆円くらいですが、経済が破綻状態の国が、先進国の国家予算並みの額を、たと
え20年や30年の分割だとしても、他国へ支払わなければならないというのがいかに大変か、
なんとなくでも感じ取ることができるでしょう。
元々ドイツには支払い能力がないのに、1929年には世界恐慌が起こり各国がドイツから
資本を引き上げ、ドイツの経済は完全に破綻してしまうのですから、その後はなおさら無
理です。失業率も40％を超え、町には560万人の失業者があふれました。そこで連合国は、
1930年に358億金マルクの59年払い、32年には30億金マルクに賠償金は減額し、支払い猶
予（モラトリアムmoratorium）を３年延長しました。
このような状況のドイツで、ベルサイユ条約の無効やゲルマン民族（ドイツ人）の優位
性を説き、ドイツ人は自信を持て、というヒトラーの演説に多くの民衆はナチス支持に傾
倒して行きました。
自国民の優位性を強調しようとするとどうしても比較するものが欲しくなります。それ
がユダヤ人でした。劣等人種のユダヤ人がドイツの富を独占しているなどとヒトラーは言
い、ユダヤ人排斥を訴え続けました。ヒトラーのユダヤ人に対するこうした攻撃は、政権
を取るための戦略ではなく、少年のころのオーストリアのユダヤ人排斥政策などの影響も
あって、政治に携わる前から反ユダヤの感情が芽生えていたということのようですが、私
はまだ不勉強ではっきりとは分かりません。少なくとも、ユダヤ人排斥という考えは、ま
たく白紙の状態でヒトラーが言い出したのではないことは確かです。ただ、ヒトラーはそ
の後、ユダヤ人「排斥」ではなく「
特定の国の外国人や人種を国外に排除したり、一定の地域に隔離したりするだけなら、
ヒトラーは後年、これほど非難されることはなかったでしょうが、排斥ではなく大量虐殺
してしまったのですから、厳しくその罪を問われて当然です。そして、ドイツ国民もその
一端を担ったことへの痛切な反省と謝罪を関係各国に表明したわけです。
排斥や隔離だけなら、アメリカも1924年に移民・帰化法を改正して、実質的に日本人は
アメリカに入れないようにし、真珠湾攻撃の２ヶ月後、1942年２月にフランクリン・Ｄ・
ルーズベルト大統領は、市民権の有無にかかわらずすべての日系人を収容所に強制隔離す
る大統領令を発し、12万人の日系人は各地の収容所に入れられました。しかし、1980年代
以降、日系人強制収容は人種的偏見によるもので、軍事的にも正当性はなかったとし、
1988年、レーガン大統領は、アメリカ市民としての権利を侵害したことに対して国を代表
して謝罪するとして、当時生存していた数千人の元収容者に対し、１人２万ドルの賠償金
を支払いました。
太平洋戦争の17年も前に日本人を締め出そうとしたその理由は、日系人は自分たちだけ
でかたまり、地域に融け込もうとしないとか、勤勉に粘り強く仕事をこなすが、稼いだ金
はすべて日本に送金してしまうということに対する不満であったようです。何か少し、ヒ
トラーのユダヤ人嫌いの理由と共通するところがあるように感じます。
日本人の閉塞感
ともかく、戦闘行為による犠牲ではなく、特定の民族を殲滅しようという、戦争でなく
ても行いうる動機による大虐殺、これがナチスの罪の本質だということをしっかり押さえ
ておかないと、日本の戦争責任を考えるときに、しばしばナチスと同列に扱って日本を非
難する論調に堂々と反論できなくなってしまうし、真の意味での反省でなく、思考停止し
た状態での単にその場を切り抜けるためだけの謝罪を繰り返すことになります。実際、日
本はそうしたことを繰り返してきたといっても間違いではありません。
先ほど述べた日本人の閉塞感というのは、どうもこの辺にもあるのではないかと、私も
感じているのです。
話がオリンピックからかなり
ともかく、ドイツ民衆の圧倒的支持を得て1933年に政権を取ったヒトラーは、10月に国
際連盟を脱退（日本は３月に、満州事変のリットン報告に不満を表明して脱退）、モラト
リアムの期限が切れる1935年には賠償金支払い拒否を宣言し、ベルサイユ条約を無視した
軍備拡張と公共事業で経済の建て直しに一層力を入れたのでした。
そして、1936年にベルリン・オリンピックが開催され、ヒトラーは得意満面でした。
アテネからの聖火リレーはヒトラーの発案であることは有名です。オリンピックを初め
てテレビで生放送したのもベルリンです。
日本にはまだテレビ放送はありませんでしたが、ラジオでの「前畑ガンバレ！ ガンバ
レ！ ガンバレ！ ガンバレ！」というＮＨＫのアナウンサーの絶叫は、諸君もどこかで
聞いたことがあるのではないですか？ 日本人女子の金メダル第１号です。種目は、競泳
200ｍ平泳ぎです。
さて、今の日本の閉塞感は、当時のドイツの比ではないでしょうが、「オリンピックで
元気出そう」というところは、私にはベルリンとだぶって見えてしまいます。
主要先進国の中でオリンピックを国威発揚に利用しようというのは、日本ぐらいのもの
でしょう。２年前、アテネ・オリンピックのあとの本紙０１５号で「日本はメダル、メダ
ルとうるさい。発展途上国のような感じで好きではない」と書きました。そして、欧米な
どは、選手の両親の国籍が違ったりということで、国を応援する気持ちが薄れているとい
うＮｅｗｓｗｅｅｋの記事を紹介しました。
ところで、1936年というのは、日独防共協定を締結した年でもあります。翌37年には日
独伊三国防共協定を結び、ここにファシズムの枢軸国対自由主義の連合国＋ソビエト連邦
＆中国共産党という構図がはっきりし、第２次世界大戦へ突き進むことになるのです。ベ
ルリンの次の予定だった東京オリンピックは、そういう情勢で中止となりました。
2016年のオリンピックがもし東京に決まったとすると、国威発揚という、ベルリンとの共通項でくくれるオリンピックがちょうど80年目というのは、ただ
の偶然でしょうね。 〟